65年間、命がけで取り組んだ仕事
ホームスパンという毛織物をご存知でしょうか。良質の羊毛を手で紡いで手織りした最高級の洋服生地。かつては男の究極のおしゃれは、ホームスパンで仕立てたジャケットを着ることだとさえ言われていました。このホームスパンを、昭和16年から現在まで織り続けてるのが、北海道愛別町に住む松浦千代子さん92歳です。藍はもとより山のナラ、クルミ、ハンノキなどの木の皮、葉、実を使って、自ら紡いだ毛糸を風味豊かな色あいに染め、手織りで、様々な模様の毛織物を作り上げます。創作歴は65年にもなり、日本各地でお弟子さんたちも活躍しています。千代子さんとホームスパンとの出会いは、昭和16年。北海道庁滝川種羊場(現滝川種蓄試験場)に、農家の副業のための女子実習生の指導者養成コースに入所。羊の飼育や解剖、料理、紡毛、染色、ホームスパンの機織りまでを実習し、全課程を終了しました。当時、農家の嫁が幼い子供を残して1ヶ月も泊り込みで実習指導を受けるのは、大変なことだったと言います。「だから生半可な気持ちでは行けませんでした。それこそ命がけでしたよ」と千代子さんは当時を振り返ります。
松浦ホームスパン研究所
農家の副業として、家(home)で羊毛を紡いだ(spun)ことに由来するホームスパンの技法が日本に伝えられたのは、明治時代の日露戦争がきっかけだと言います。極寒のシベリアへ出兵した日本兵が着ていたのは綿入れの服。対するロシア兵は暖かい羊毛の外套でした。やがて農商務省が、気候が似ている北海道、長野、岩手の農家に羊の飼育を奨励。同時にホームスパンの技術も移入されました。しかし毛織物の中で一番手がかかるうえ、後継者不足もあって戦後は北海道、長野の産地は消滅していったのです。現在、地場産業として唯一残っているのは、岩手県だけ。そんな中で、北海道でまだ織り続けている千代子さんは貴重な存在です。昭和42年に自宅横に「松浦ホームスパン研究所」を設立。年2回、道立工業試験場職員の派遣による技術指導を受けながら、近所の主婦を糸紡ぎや織り手として雇い、様々な作品を織り続けました。研究所の建物設立の費用は、すべて千代子さんが織ったホームスパンの販売で賄ったそうです。
森の名手・名人100人に選定
こうした長年の取り組みに対して、平成15年度の「森の名手・名人100人」に全国100人の中の1人に選定されました。また、染織の専門誌や新聞などに取り上げられるなど、多くの人が千代子さんの仕事ぶりに注目しています。ときには、染織を学んでいる大学生が羊毛文化の研究に千代子さんを取材し、研究論文を書き上げたこともあるそうです。「せっかく身に付けたホームスパンの技術だから、教えてほしいという人が居れば、喜んで私の技術や知識を伝えたい」という千代子さん。これまでの染料の配合やデザインのサンプル生地はきちんと保管してあります。田んぼに水が張られ、青々とした稲や周囲の山々に囲まれた自然の中で、千代子さんは、「さぁ、今年はどんな色とデザインのホームスパンを織ろうかしら」と92歳の今も、研究意欲は満々でイメージを膨らませています。 |